岩舟町駅伝競走大会(もくせいの里)

文責:もくせいの里施設長 諸岡 泰
 
 3月2日 当会の法人本部、多数の施設・事業所が所在する岩舟町で、第39回岩舟町駅伝競走大会が開かれた。当会が「すぎのこ会」チームとして始めて参加したのが、第9回の大会で丁度30年前だ。当時は、国鉄両毛線岩舟駅前をスタート・ゴールとした大会で、岩舟中学校の5・6チームを加えても、30チームほどの参加だったと記憶している。
 すぎのこ学園の利用者さん2名、あすなろ園の利用者さん1名、両施設を通所利用して就職された元利用者さん2名の5名で、襷をつないだ。結果は、最下位の2番上の順位だった。参加にあたっては、主催者の岩舟町の関係者の皆様のご協力と参加チームの皆様のご理解をいただいた。
「襷をかけて走れるのか」「完走できるのか」等々の心配をよそに見事に走りぬいた選手は、沿道の住民の皆さん、当会関係者の大応援団、心配して駆けつけてくれたご家族さまの声援を受けたことと、その達成感に今までにない充実感を味わった。一緒に練習し、伴走した職員も同様だった。閉会式で当時の岩舟町陸上協議会の会長さんの講評で「すぎのこ会の皆さんの力走も、大会を盛り上げてくれた。」と評していただいた。
 それから約10数年、3月の第一日曜日に行われる「岩舟町駅伝競走大会」は、選手であった利用者さんと選手を目指す利用者さんと私にとっても大切な目標となった。 その後「すぎのこ学園」と「あすなろ園」でそれぞれチームを作り参加できるようになり、力を付けた数名の選手は、栃木県代表として「全国障害者スポーツ大会」に参加することもできた。
その大会には、平成13年を最後に参加できないでいた。(私は、競技役員で毎年お手伝いをさせていただいておりましたので、30年連続の大会参加?)
 その駅伝大会を主催している岩舟町は、来月5日に栃木市に合併となる。そんな最後の「岩舟町駅伝競走大会」に日頃、中間管理職として苦労している30歳代の二人が中心に参加を呼びかけ、20歳代のホープ二人と、30年前に利用者さんと伴走し参加した53歳の私で、チームを組み参加させていただいた。
 高校時代長中距離の選手だった岩崎理事長、常務理事、石塚施設長をはじめ、利用者さん、職員も多数応援に駆けつけてくれた。多分、応援団の数では第1位だった。監督として総指揮をしてくれ事務局長、30年前駅伝大会の参加を呼びかけてくれた長谷川所長は、サポーター代表としてチームを支えてくれ選手以上に復活参加を喜んでくれた。昔、利用者さんと一緒に伴走した石井所長は、1月に他界されたEさんと一緒に走った若き日のことを思い出し涙を浮かべながら応援してくれた。次女と高校の同級生である1年目の女子職員も黄色い?声援を送ってくれた。
 チームは、私の失速を若い職員が盛り返してくれて、64チーム中46位の成績。不甲斐ない走りで落ち込んでいる私に「諸岡さんから若い職員に襷をつないだことに意味があったんだ。」と励ましてくださった長谷川所長、「がんばれ50代代表!!」と応援してくれたひとつ年下の落合細腕女将は「皆で応援できることってうれしいよね。」と労をねぎらってくれた。
 佐藤さん、軽部さん、宮城さん、坂本さん来年も頑張ろうね。梅澤さん、大出さん来年はもう1チーム参加できるように選手を集めましょう。応援してくださった皆様、サポートしてくださった皆さん、ありがとうございました。
 駅伝のコース沿いには、当会のグループホームがあり、来年は完成間近の地域密着型小規模特別養護老人ホームの前を多くのランナーが走り抜けるはずです。
 明日は大会後、初めての休み。楽しかった思い出と悔しかった想いを込めて、また、名前が変更になる「駅伝大会」の参加を目指し、楽しく15キロくらいは走ろうと思う。
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元箱根駅伝選手も含め、78チームの第1区のランナーがスタート。6番が「すぎのこ会チーム」
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すぎのこ会グループホー花水木の前をランナーが走り抜けました。
声援を送ってくれた利用者さんと職員(理事長の姿も)、ありがとうございました。
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すぎのこ会大応援団と選手たち。女子は、美人多数。
横になっているのが岩崎監督。このノリでチームをけん引いただきました。
帽子を被っているのが長谷川サポーター代表。皆さん、ありがとうございました。

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