3人が残してくれたもの(福祉経営余話)

記録文責:すぎのこ会理事長  岩崎俊雄

 新しい年を迎えてからまだ間もありませんが、当会を利用していた三人の旅立ちを見送ることになりました。
 Aさんは、心身ともに障害を持ってこの世に生を受け、両親そして兄弟に囲まれた家庭での生活を続けていました。Aさんとの出会いは、予算事業であった重症心身障害児者通園事業を利用されたのがきっかけでしたが、障害者自立支援法制定後は、同法に基づく、地域で生活するための重度障害者等包括支援事業を利用していました。全国で30名程度の利用に留まっている重度包括支援事業、その数少ない利用者の一人でした。重度・重症の障害を持つ方々が地域で生活するためには、重度包括支援が必要であり、より充実した同事業の必要性を訴え続けていたに違いありません。温かな家族愛に包まれて生涯を終えたAさんの声なき声を、今後も正面から受け止めていきたいと思っています。
 Fさんは、ご主人と一緒に葡萄栽培を始められ、当地を巨峰の名産地にした立役者のひとりでしたが、脳血管障害のため療養生活を余儀なくされました。障害者になるなどと思ってもみなかったが、障害を持って「ともに生きる」ことを学んだ、というご夫妻は、自宅に隣接する大事な葡萄畑を施設建設用地に提供してくれました。その後、Fさんは施設入所の道を選択し、利用者視点に立った支援の在り方について、数々の助言を与えてくれました。昨年暮に体調を崩し入院していましたが、状態が思わしくないとの報告があり、病院を訪ねました。「理事長に一番会いたがっていた」という娘さんの最初の言葉が、胸の奥を深く突き刺しました。多忙を理由に現場重視を忘れかけていた私にとって、福祉の原点は何か、を改めて考える機会となりました。
 Тさんとは、当会初の施設であるすぎのこ学園からのお付き合いでした。当時、利用者の皆さんの要望で、就労支援の一環として下請け作業を行っていました。「もっと仕事がしたい」という要望が強く、小型そして大型のトラックを購入し、会社との資材の搬入、搬出をしていました。Тさんは、当時運転手を兼ねていた私の助手として、繁忙期などは早朝から活躍してくれました。こだわりの強いТさんだったので、周りの方々からの批判もありましたが、関連会社の従業員さんからも名助手の評価を受けるまでになりました。まさに、国が現在進めている、就労支援の抜本的強化、の先取りをしたひとりでした。しかし、その後こだわりがさらに強くなり、障害特性に応じた専門的な個別支援が必要なことをも、私たちに改めて教えてくれました。
 障害をもっての生活には大変なご苦労があったかと思いますが、三人の生前を偲び、心からご冥福をお祈りいたします。

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